東京高等裁判所 平成11年(行コ)126号 判決 2000年3月16日
控訴人
清水英雄
右控訴代理人弁護士
野村尚
被控訴人
大町税務署長 櫻井恒彦
右指定代理人
日景聡
同
笹崎好一郎
同
田口勉
同
永塚光一
右当事者間の所得税更正処分取消等請求訴訟事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が平成六年三月一〇日付けでした控訴人の平成二年分の所得税に係る更正処分のうち総所得金額八〇五一万九七六四円及び納付すべき税額三三一七万八五〇〇円を超える部分並びに平成二年一月一日から同年一二月三一日までの課税期間に係る消費税の更正処分のうち納付すべき税額五〇万八七〇〇円を超える部分を取り消す。
二 被控訴人
控訴棄却
第二事案の概要
一 控訴人は、センター観光開発株式会社(センター観光)に対し、平成元年一二月二五日付けの契約で、長野県北安曇郡小谷村大字北小谷字猫鼻三六七〇番ほか三九筆の土地面積合計三万七〇七七・二一平方メートル(本件土地)に係る温泉権並びに本件土地上に存するプレハブ建物、風呂施設、水中ポンプ及び短波治療器を代金二億四五〇〇万円で売り渡した(本件譲渡)。本件は、控訴人が、本件譲渡による所得を一時所得として平成二年分の所得税及び平成二年一月一日から同年一二月三一日までの課税期間に係る消費税について確定申告(所得税については青色申告書による。)をしたところ、被控訴人から、本件譲渡による所得は短期譲渡所得に当たるとして右所得税及び消費税の各更正処分を受けたため、各更正処分には、ア 理由付記の不備、イ 信義則違反、ウ 権利濫用、エ 更正期間の徒過、オ 温泉権の譲渡による譲渡所得を短期譲渡所得とした所得区分の誤り(所得税に係る更正処分についてのみ)の違法事由があると主張して、各更正処分の取消しを求めた事案である。
原判決は、控訴人の請求を棄却したので、これに対して控訴人が不服を申し立てたものである。
二 右のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人の当審における主張)
1 原判決は、松本税務署の職員が、税務相談の際、戸谷税理士に対し温泉権の譲渡による所得は一時所得に該当するとの指導をしたこと、控訴人が平成元年度に本件とは別の温泉権の譲渡による所得を一時所得として確定申告をしたのに対し、被控訴人が修正申告を求めるなどの事後処理をしなかったことを、いずれも公的見解の表示に当たらないとし、信義則違反の主張を認めなかったが、これは事実を誤認したものであり、また、理由不備の違法がある。
原判決は、松本税務署の職員の指導及び控訴人の修正申告を求めるなどしなかった不作為という二つの事実を独立した主張ととらえているが、控訴人は、右の二つの事実を総合的に考慮すると、被控訴人は控訴人に対し、温泉権の譲渡による所得は譲渡所得ではなく一時所得に当たるとの公的見解を表示したと判断できると主張しているのである。先例等が氾濫する税務実務においては、それまでの取扱例が公的見解の表示になることは当然である。
また、控訴人は、本件譲渡による所得の申告に際しても、戸谷税理士を通じて大町税務署の担当職員に税務相談をし、その指導のもとで申告をした。それにもかかわらず、申告から約三年を経て本件各更正処分を行うことは、被控訴人の手足である職員の責任を納税者に転嫁するものであり、信義則に違反する。
2 原判決は、本件各更正処分は国税通則法七〇条一項の更正期間内に行われており、更正期間が経過する間際であることが権利濫用となると解する余地はないとしたが、右判断には理由不備の違法がある。
被控訴人は、遅くとも平成三年七月ころまでには控訴人に対して調査を行っており、本件譲渡による所得が一時所得ではなく短期譲渡所得に当たること、すなわち、控訴人の申告が間違っていることをわかっていたにもかかわらず、更正期間が経過する間際まで更正処分をしなかった。これは、延滞税をより多く徴収しようとの意図に基づくものである。右の点及び信義則違反で主張した事実を総合的に考慮すると、本件各更正処分は権利濫用に当たる。
3 原判決は、資産の譲渡の時点とは、譲渡契約に基づく確実な履行行為が行われたとき、すなわち、ただ単に契約を締結しただけではなく、その履行として所有権移転登記等の対抗要件を具備させるか、譲渡資産の引渡しが行われたときと解するのが相当であるとしたうえで、本件譲渡に係る契約に基づく確実な履行行為が行われたのは、早くとも平成二年一月一〇日(代金が完済された日)であると認定したが、これは事実を誤認したものであり、また、理由不備、理由齟齬の違法がある。
平成元年一二月二五日には、控訴人は本件土地の賃貸借契約を解除し、センター観光は土地所有者である花岡和男(花岡)との間において地上権設定契約を締結しただけでなく、代金二億四五〇〇万円のうち二億円が支払われ、控訴人はセンター観光に対し、温泉法一二条一項所定の許可を取得するために必要な書類等を交付し、現実の占有も移転した。したがって、この日に控訴人からセンター観光への譲渡資産の引渡しがあったというべきである。
そうすると、本件譲渡による所得は平成元年分の所得となり、これに関する更正期限は平成五年三月一五日となるから、平成六年三月一〇日にされた本件各更正処分は、更正期間徒過後の処分である。
4 原判決は、本件譲渡に係る温泉権の取得時期を温泉の採取を始めた昭和六三年一二月一二日であると認定したが、これは事実を誤認したものである。
控訴人は、昭和五七年五月に花岡から本件土地を借り受け、そこに湧出していた温泉(湯原温泉)の利用権を取得した。本件温泉は、湯口の近接性、掘削した工事の形態、当事者の意思等を総合すると、湯原温泉と同一湯脈に属すると推認することができる。本件温泉は、昭和五七年五月に取得した温泉の採取の方法を変更したに過ぎない。湯原温泉と本件温泉が温泉台帳では別の温泉として管理されているとしても、それは、温泉の泉源を濫掘から保護し、公衆利用の取締りのためにされているのであるから、温泉権の取引の単位とは別である。また、本件温泉の周辺地域では、温泉権は湧出地の所有権又は利用権と一体をなして取引されている。
したがって、本件譲渡に係る温泉権は、いずれの点からしても、昭和五七年五月に取得されたものである。
第三当裁判所の判断
一 当裁判所も、控訴人の請求は理由がないものと判断する。その理由は、次に記載するほか、原判決の理由記載と同一であるからこれを引用する
1 控訴人の当審における主張1について
控訴人は、松本税務署の職員の戸谷税理士に対する指導及び被控訴人が控訴人の平成元年分の申告について修正申告を求めるなどしなかった不作為という二つの事実を総合的に考慮すると、被控訴人は控訴人に対し、温泉権の譲渡による所得は譲渡所得ではなく一時所得に当たるとの公的見解を表示したことになると主張する。
証拠(甲一、二二、原審における控訴人本人)によれぱ、控訴人は、平成元年中に、長野県北安曇郡小谷村大字北小谷字滝倉にあった温泉(姫川温泉)の掘削権、工作物等を株式会社ホテル國富に売却し、平成元年分の所得税の確定申告において、右売却による所得を一時所得として申告したこと、これに対し、被控訴人から、平成三年三月一五日までに、譲渡所得に当たるとして修正申告を求められたり更正処分を受けたりしたことはなかったこと(なお、平成元年分の申告に関しては、その後も更正処分を受けたことはない。)が認められる。しかし、右のような不作為をもって、被控訴人が、平成二年分以降の所得税の申告に関する租税法規の適用について、公的見解を示したものと評価することができないことはいうまでもない。公的見解の表示というためには、少なくともその内容が明示的に表示されていることが必要である。
また、弁論の全趣旨によれば、戸谷税理士が、松本税務署の職員に対し、本件譲渡による所得の申告の仕方について相談をしたことが認められる。しかし、その回答がどのようなものであったにせよ、税務署の職員の税務相談における回答をもって、税務官庁における公的見解の表示と評価することはできない。税務相談は、その性格上、税務署の職員が限られた情報と資料の中で一般的な取扱い等を回答するに過ぎず、そもそも、一職員の回答を直ちに公的見解の表示と評価することはできない。
したがって、被控訴人の確定申告後一年以内の修正申告を求めるなどしなかったという不作為と税務署の職員の税務相談における回答とを総合してみても、温泉権の譲渡による所得の取扱いに関する公的見解が表示されたものとは認めることができない。
さらに、控訴人は、本件譲渡による所得の申告に際して、戸谷税理士が大町税務署の担当職員に税務相談をし、その指導のもとで申告をしたと主張する。控訴人の右主張は、大町税務署の職員が本件譲渡による所得を一時所得として申告することを了解し、又は指導したとの内容まで含むものかどうかが明らかではない(右内容を含まないとすれば、信義則違反の主張としては意味がなくなる。)うえ、右内容を含むとしても、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。
控訴人の当審における主張1は、採用することができない。
2 控訴人の当審における主張2について
控訴人は、被控訴人は遅くとも平成三年七月ころまでには控訴人の申告が間違っていることをわかっていたにもかかわらず、延滞税をより多く徴収しようとの意図に基づき、更正期間が経過する間際まで更正処分をしなかったと主張する。
しかし、被控訴人が遅くとも平成三年七月ころまでには控訴人の申告が間違っていることをわかっていたと認めるに足りる的確な証拠はない。
また、控訴人の「延滞税をより多く徴収しようとの意図」があったとの主張は、控訴人が当審における当初も、「本件においては、平成二年(平成三年の誤記であることは明らかである。)四月一六日から支払いずみまで年一四・六パーセントの割合による延滞税が積算される」(控訴理由書第三・一・3)と主張していたように、延滞税の計算に関する誤解に起因するところが大きかったものと解される。後に、控訴人は、被控訴人の不当な行為により控訴人が被った損害は、「法定納期限(平成三年三月一五日)の翌日から一年を経過する日(平成四年三月一五日)までの期間の延滞税」と「更正通知書発送の日(平成六年三月一〇日)の翌日以降の延滞税」であると主張を変更している(平成一二年一月二〇日付け準備書面(控二)第一・二)。なお、国税通則法六〇条二項によれば、前者の延滞税の割合は年七・三パーセントであり、後者の延滞税の割合は平成六年三月一一日から同年六月一一日までが年七・三パーセント、同月一二日以降が年一四・六パーセントである。また、平成六年三月一一日以降についてみると、同年五月九日異議申立て、同年一一月二一日審査請求、平成九年五月三〇日本訴提起という不服申立てが行われており、最終的な結果として延滞税が加算されることとなっても、被控訴人の更正処分の遅れとは関係がない。
以上のように、更正処分が更正期間が経過する間際に行われたからといって、更正処分までの全期間を通じて延滞税が加算されるものではないのであるから、延滞税をより多く徴収しようとの意図に基づき更正処分を遅らせたとは認めることができない。
そのほか、控訴人が信義則違反と主張する事実を合わせて考慮しても、本件各更正処分が権利濫用であると認めることはできない。
控訴人の当審における主張2も、採用することができない。
3 控訴人の当審における主張3について
控訴人は、控訴人の賃貸借契約の解除、センター観光の地上権設定契約の締結、代金二億円の支払、控訴人からセンター観光に対する書類の交付、現実の占有の移転の事実などを根拠に、平成元年一二月二五日に控訴人からセンター観光への譲渡資産の引渡しがあったというべきであり、本件譲渡による所得は平成元年分の所得となると主張する。
原判決挙示の証拠によれば、原判決の第三・一・4・(一)記載の事実を認めることができる。右事実及び原審における控訴人本人によれば、平成元年一二月二五日に、控訴人は花岡との間の本件土地の賃貸借契約を解消し、センター観光は花岡との間で本件土地について地上権設定契約を締結したこと、売買代金二億四五〇〇万円のうち二億円が支払われたこと、控訴人は、同月中に右代金から長野銀行に対する負債等を返済したことが認められる。
原審における控訴人本人は、この日に、プレハブ建物の所有権保存登記をするために必要な書類や県知事、保健所に対する届出に必要な書類もすべて交付し、自分は以後営業を行わず、センター観光が営業を行ったと供述する。しかし、次に掲げる各事実に照らすと、控訴人本人の右供述は信用することができない。
すなわち、原判決の第三・一・4・(一)記載の事実及び乙一四によれば、センター観光は、控訴人に対し、平成二年一月一〇日、残代金四五〇〇万円を支払ったこと、控訴人は、長野県知事に対し、平成二年一月に、平成元年一二月三一日現在の温泉の現況を示す「温泉現況報告書」を、温泉を採取する者(源泉所有者)として提出したこと、センター観光は、長野県知事に対し、平成二年一月一九日に、本件土地に係る温泉から温泉を採取する権利が同日をもって控訴人からセンター観光に変動したとの「温泉に関する権利変動報告書」を提出したこと、同月一八日に控訴人の温泉法一二条一項の利用許可が廃止され、同月一九日にセンター観光の右利用許可があったこと、プレハブ建物について、同日受付をもってセンター観光の所有権保存登記が経由され、また、本件土地についても、同日受付をもってセンター観光の地上権設定登記が経由されたこと、控訴人は、平成二年分の所得税の青色申告決算書において、本件温泉に関するプレハブ建物、風呂施設、水中ポンプ及び短波治療器を期中売却と記載していることが認められる。
右のとおり、平成二年一月一〇日には売買代金が完済されているのであるから、この時期には資産の譲渡による所得が実現したことは明らかである。しかし、それ以前に、譲渡契約に基づく確実な履行行為が行われたとして所得が実現したと評価することができるかをみると、本件土地の利用権に関しては、平成元年一二月二五日に控訴人と花岡との合意の解消及びセンター観光と花岡との合意の成立があるものの、譲渡資産の中心となる温泉権について、控訴人の利用許可が廃止され、センター観光への利用許可がされたのは平成二年一月一八日及び一九日である。そして、この時期には、温泉権に関する変動の届出のみならず、プレハブ建物の登記、地上権の登記が集中的に行われている。したがって、譲渡資産の引渡しに関し確実な履行行為が行われたと評価することができるのは、平成二年一月一九日であるといわざるをえない。
右によれば、所得が実現したということができるのは、早くとも平成二年一月一〇日ということになる。したがって、本件譲渡による所得は、平成二年分の所得となる。
控訴人の当審における主張3も、採用することができない。
4 控訴人の当審における主張4について
控訴人は、昭和五七年五月に花岡から本件土地を借り受けたときに湧出していた湯原温泉と本家温泉は同一湯脈に属し、本件温泉は温泉の採取の方法を変更したに過ぎないから、本件温泉の取得の時期も昭和五七年五月であると主張する。
しかし、温泉の採取について、湯口ごとに掘削の許可が与えられ、利用の許可も与えられている趣旨からすれば、取引の対象としても湯口ごとに別の権利と考えるべきであり、取得の時期も湯口ごとに特定されるべきものである。
また、控訴人は、温泉権は湧出地の所有権又は利用権と一体をなして取引されているから、本件温泉の取得の時期は花岡から本件土地を借り受けた昭和五七年五月であると主張する。
しかし、本件譲渡においても、控訴人からセンター観光に対する本件土地の賃借権の譲渡は行われていない。むしろ、控訴人と花岡との賃貸借契約は解消され、センター観光と花岡との間では地上権設定契約が締結されたのである。したがって、このことをみても、本件温泉の周辺地域では、温泉権が湧出地の所有権又は利用権と一体をなして取引されているとは認めることができない。
控訴人の当審における主張4も、採用することができない。
二 したがって、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。
よって、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結の日 平成一二年一月二〇日)
(裁判長裁判官 淺生重機 裁判官 岩田眞 裁判官 江口とし子)